<   2017年 08月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 

170822 さらば愛しき大地(フィルムセンター)

 8月22日(火)、PM半休取って京橋のフィルムセンターへ、柳町光男監督の「さらば愛しき大地」(1982年)を観に行く。30年ぶりだ。茨城県鹿島方面を舞台に、覚醒剤に溺れていく幸雄(根津甚八)と、そんなどうしようもない男と離れられない純子(秋吉久美子)の破滅へ転がり落ちてゆく映画。 この映画、いつも観てもたまらなく懐かしい気持ちにさせる。
昔観た時は、根津も秋吉も色気のある大人の役者に感じたけど、今日観ると二人とも随分若い兄ちゃん、姉ちゃんなのね。当たり前か、映画館では自分だけが歳取っちゃってんだから・・・
b0146794_00050031.jpg

[PR]

by t-kashmir | 2017-08-22 15:45 | cinema  

170819-20 岳沢から天狗のコル

18日(金) 曇り
04:00 出発、08:00 沢渡大橋、08:43 バス発(乗車人数の制限あり、早めにバス停へ)、09:10 上高地、09:20 出発、09:40 岳沢登山口、10:25 風穴、10:40 見晴らしのガレ場(おにぎり、卵)、10:55 出発、11:50 2回目休憩、11:55 出発、12:30 岳沢小屋着、12:40 (雨)テント設営、ラーメン、15:00 第2お花畑手前まで下見、16:00 ウイスキー、サラダチキン、チョコ(次回、団子不要)、18:00 サラダ、セロリ、カレーライス、スープ、コーヒー、20:00 就寝
19日(土) 霧のち晴れ
03:00 起床、サラダ、五目御飯、スープ、コーヒー、04:30 出発、07:15 天狗のコル着、07:25 発、08:00 畳岩の頭手前のキレットまで、08:25 天狗のコル戻り(小さなパン×3)、10:50 岳沢小屋着、テント撤収(ラーメン不要)、11:55 出発、13:25 岳沢登山口着

 岳沢小屋から天狗のコルまで2H30M、天狗のコルから畳岩の頭~コブ尾根の頭まで1H20M、さらにジャンダルムまで20M、計4H10M
 初日の天気は諦め、2日目の一時晴れに期待し、天狗沢経由でジャンダルムを目指す計画。2日目、3時起床、星空だった。たっぷり日焼け止めクリームを塗る。小屋を出発して1時間、5時を過ぎたのに一向に明るくならない。周りは暗く、霧が深くなる。弱い雨も降りだしカッパを着る。これではダメだ。天狗沢のガレ場のマーキングだけを注意し、帰りのために後ろのマークを振り返りながら登る。天狗岳のルンゼも突然目の前に来てうっすら白く浮かび上がり、沢の右岸に来たことが判った。ここから天狗のコルまでは15分くらいか。ここまでのガレ場はしっかりしていたが、この先はザレて注意深く登らねばならない。
 07:11天狗のコルに到着したが、霧で視界が無いのでジャンまでは諦める。08:00折り返しで、畳岩方面を少し偵察する。飛騨側をしばらく登ったところで2,3mのキレットが出てきた。信州側は下が霧で見えず。岩もガバだが濡れていてスリップが非常に怖かった。凹角に架かるクサリ場もまだなので畳岩の尾根の頭もまだなんだろう。このキレットを渡ったところでもう一つうっすら先鋒が見えたがそれが何なのかも分からず、ちょうど08:00になったので引き返す。
 こんな天気でも奥穂→西穂へ4組、西穂→奥穂へ1組と行き会う。天狗沢登りルートも4組ほどいた。天狗沢の下りでは段々晴れてきて遭難の心配も無くなった。行きで気付かなかったお花畑も綺麗だった。昼前後の岳沢からの下りはピーカンの晴天で暑くなった。しかし上高地から見上げた奥穂周りの尾根は相変わらずガスが掛ったままだった。
(写真は天狗のコルからの下りで撮ったものです。) 
b0146794_17301039.jpg
天狗沢のガレ場から畳岩(登りでは全く見えず)
b0146794_17292377.jpg
明神岳方面
b0146794_17284792.jpg
天狗岩のルンゼと先鋒
b0146794_17273526.jpg
2,3mのキレット
b0146794_17275964.jpg
畳岩の頭手前
[PR]

by t-kashmir | 2017-08-19 07:11 | family  

動的平衡 (福岡伸一 著)

b0146794_21335401.jpg
「動的平衡とは何か?」
 私たち生物の生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数か月前の自分とは、全く別物になっている。分子は環境からやってきて、いっとき、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれてゆく。つまり環境は私たちの身体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「取り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているに過ぎないからである。つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。

この先生、理系なのにとても文章がうまく分かりやすく伝えてくれる。「記憶」に関する話など文学的ですらあって読後感がとても良かった。良書だと思います。

人間の記憶とは、「想起した瞬間に作り出されている何ものか」なのである。
つまり過去とは現在のことであり、懐かしいものがあるとすれば、それは過去が懐かしいのではなく、今、懐かしいという状態にあるにすぎない。ビビットなものがあるとすれば、それは過去がビビットなのではなく、たった今、ビビットな感覚の中にいるということなのである。ではいったい記憶とは何だろうか。それはおそらく細胞の外側にある。神経回路はいわばクリスマスに飾りつけられたイルミネーションのようなものだ。電気が通ると順番に明かりがともり、それはある星座を形作る。オリオン座、いて座、こぐま座。あるとき回路のどこかに刺激が入力される。それはあの洗い立てのブラウスと同じ匂いかもしれない。その匂いはその回路を活動電位の波となって伝わり、順番に神経細胞に明かりをともす。ずっと忘れていたにもかかわらず、回路の形はかつて作られたときと同じ星座となってほの暗い脳内に青白い光をほんの一瞬、発するのである。あの懐かしい・・・

[PR]

by t-kashmir | 2017-08-15 22:35 | reading  

第14回 磯の会展

b0146794_20302221.jpg
b0146794_20304355.jpg
b0146794_20305949.jpg



[PR]

by t-kashmir | 2017-08-05 16:30 | family